「情報を売る」
 簡単に言ってしまいましたが、では何の情報を売るのか?という話を始める前に、 ネット上での情報の価値について、現状に対する所感をまとめておきます。

 インターネットで漠然と価値のある情報を探すと言うことは、広大な砂漠の中であるかどうかもわからない、 見えていても飲める水をどれだけたたえているかもわからない小さなオアシスを 探しているに等しいのが現状です。

 インターネット創世記、急速に増え始めたウェブページに対して「検索」というサービスを Yahoo! をはじめとする企業なり団体なりが提供を始めました。
 しかし、それを上回る爆発的なスピードで増加する情報量に追いつかず、 いくら検索しても必要な情報に行き着くことが難しくなってきていたところに Google が登場し、 ネット上の情報に「重み」がつけられ再び秩序を取り戻してきたように見えました。
 しかし、Google は広告収入を その規模を拡大する原資とするモデルとしたために、 その重み付けを逆手に取ってその収入をかすめ取る策が練られ、 また何より情報そのものも写真や音声、動画など情報そのものを知覚しないと重み付けが 困難な情報も増え続け、大多数の人間にとってはほとんど意味のない情報が 散乱しているのが現状となっています。
 ほぼ無制限に大きくなり続ける砂漠をさまよいながら他人に売るに値する情報を紡ぎ出す。 これは相当骨の折れる作業です。

 ではなぜネット上の情報は無秩序に増え続けるのか?
 あらかじめ言っておきますが、ネット上に情報が増え続けることを「悪」だとは思っていません。 ただ雑然と秩序なく増え続ける情報によって、本当に価値のあるはずの情報が、 その増加のスピードと同じかそれ以上にのスピードで埋もれていくことには問題があると思っています。

 無秩序に情報が増えている最大の理由の一つは、 絶賛されている「フリーミアム」というビジネスモデルのおかげで だれでも無料でネット上に情報を放置しておけることに起因しています。
 ネット上で「個」を識別するのは非常に困難ですので、 1アカウント○ MB まで無料とか言っても、使い勝手の部分を無視して一人が 複数アカウントを保持すれば自分が使いたい容量を確保することが容易にできてしまいます。
 また○月間アクセスがなければ消しますというパターンも、 PC で定期的に自動アクセスするようにしておけば消えることもありませんし、 また同種のサービスは競争しますので、容量などの制限は時間がたつにつれ 緩和される方向に進んでいきます。
 つまりちょっとの努力を惜しまなければ、ただでネット上に情報を散らかし放題散らかせるのですから、 特に必要に差し迫られなければそれらを整理しようなどとは思わなくなっているわけです。

 第三者が整理をしようとしても、それを上回る勢いで、情報は増え続け散乱し続ける… ここまで考えが行き着いてしまうと、ネット上で意味ある情報を機械的に紡ぎ出すことは不可能、 もしくは無意味に思えるかもしれません。
 ただ Facebook の隆盛が、 インターネットのこの現状に対するアンチテーゼなのでは… と最近思い始めています。

 ちょっと御託ばかりが長くなったので、次回は例を交えながら この思考をもうちょっと具体的に表現してみます。