いい年になって、会社組織などという物に身を置いていると、 さしてもらっているものも上がっていないのに、看板だけは上等になっていくものです。
 上等な看板だけ背負わされるだけならまだいいんですが、 決して上等ではない無理難題を押しつけられることが比例して多くなってきます。
 たとえば「なんでこんなにコストがかかるんだ!」とほぼ間違いなく言われる開発仕事、 これの次は「これだけかかるコストを論理的に説明してみろ!!」となります。 そりゃぁまぁ当てずっぽうで盛った費用ではないですから説明はしますが、 その前に「なんでこれ以下のコストでできるか論理的根拠を示してください」と言いたい。
 まぁそんなこといっても始まらないので、懇々と説明するわけですが、 最後には「もっと経営者の視点でもの考えろ」と言う決めせりふをぶつけられることがあります。

「経営者の視点で考えろ」
 これを金言のように思っている人もいるようですが、 個人的には言われなくとも経営者としての視点でいつも行動しているつもりです。 ただ、それは自分の属している会社の経営者としての視点ではなく、 自分一個人商店としての経営者の視点でです。
 もし、このせりふを言った人が同じことを上に言われ、 それに感化され私にも同じことを言っているのだとすると、 それはもう痛いを通り越して哀れむばかりです。

 真に最後の最後まで、その会社の経営者としての視点で行動するべき人間は、 その会社の実質的な所有者、もしくは最大限大きくみて取締役という肩書きを 持っている人だけでしょう。
 それ以外の人間が、自分の持ち物でもない会社という人のもののために経営者の視点を持って、 自己の利益を捨て、作り上げた人間関係をないがしろにしたのだとしたら、 それは「経営者の視点」ではなく単に「経営者の恣意」を植え付けられているだけで、 下品な精神コントロールを受けていることに同じです。
 一個人商店での経営者の視点であれば、 その視点を人に押しつけるようなまねはそもそもしなくて良いはずです。 それに押しつけられたとしても、個人商店が倒れるとき、逃げられないのは結局は本人だけですから。
 ところが「経営者の視点」などと連呼する輩に限って、逃げ足だけは速いのが世の常というのも、 滑稽やら悲しいやら。要するに「経営者の視点」などと言うものは 人に押しつけるものでもなく、ましてや講釈するものでもない。 自信と一緒で内に秘めるものだと個人的には思うわけです。

 私の周りだけかもしれませんが、最近、 人の会社の経営者としての視点を持った哀れな人たちが余りにも多すぎるような気がしてなりません。



 えぇ単なるグチです (_ _;>